十五人乗りのプロペラ機は谷間を縫うように飛んでいく。機体は眼下に緑深い熱帯林を望みながら、雲と戯れるように山を避けていく。隙間だらけでエアコンの付いていない機内では、離陸前のサウナのような暑さから、高度上昇にともなって涼しくなり、息が白くなるような寒さまで体験できる。それはパプアニューギニアの首都ポートモレスビーからワウへ向かう上空であった。
パプアニューギニアは、世界で二番目に大きな島であるニューギニア島の東半分(西半分はインドネシアのイリアンジャヤ州)と、その東に位置するマヌス島、ニューブリテン島、ニューアイランド島、ブッカ島、ブーゲンビル島などの島々からなる。1975年にオーストラリアから独立したこの国は、総面積が日本のおよそ1.25倍で、約430万(1995年)の人々が住んでいる。
ニューギニア島は、恐竜のような形をしており、その背骨にあたる位置に、4,000メートルを超える山々が東西に連なっている。私の任地であるワウは、ちょうど恐竜の尾のつけねにある。
ポートモレスビー空港の国内線発着所は、駅舎のような建物で中は薄暗く、たくさんの荷物を持つ人たちで賑わっていた。人々は皆、黒い肌で髪は縮れ毛で、クリッとした目をしている。Tシャツに男はズボン女はスカートで、足元はサンダルの人が多く、中には裸足の人もいた。身長はあまり高くないが、男はがっしりとした体型で強そうだ。国名の「パプア」はマレー語の縮れ毛という意味から、「ニューギニア」はアフリカのギニアの人々に似ていることから命名された。
人々の間を通りぬけ、カウンターでチェックインを申し出たら、はかりの上に乗るようにいわれた。荷物を載せると、「おまえも一緒に乗れ」という。どうやら私も荷物のようである。外国で初めて国内線に乗るときは緊張するものである。しかし、ここでは発着所の開け放たれたドアのすぐ向こうに自分の乗る小さな飛行機が見え、自分の荷物が載せられるのが見えるといった具合で分かりやすく、私に安堵感を与えてくれた。荷物の積み込みを見ていると、前後左右、機体のバランスをとるように積んでいた。先のボディーウエイトの計測も、あの小さな飛行機には重要なことなのだと悟った。
座席は乗り合いバスのようだった。一番前に座った私のすぐ前が操縦席で、白色のワイシャツと半ズボンの制服を着たオーストラリア人パイロットがいて、操縦桿や計器が目の前にある。さらに、フロントガラスから前方の滑走路の様子が望め、少年のころに味わったワクワクするような気持ちを思い出した。
離陸は、大きなエンジン音とともに、フワッと浮くように飛び揚がった。機体が安定すると、革靴をはき制服を着たニューギニア人のスチュワーデスが、トレイの上に紙コップを並べ、ジュースとビスケットを配り始めた。受け取った紙コップを口にすると、人工オレンジ風味の濃縮エキスを水で割ったものだった。その昔懐しい駄菓子屋の味が、私の緊張をほぐしてくれた。
窓から外を覗くと、眼下には青黒い熱帯の森と大きく蛇行し土色をした雄大な川が望めた。その景色は、まさに私のイメージしていたジャングルそのもので、私にパプアニューギニアに来たことを実感させてくれた。
約一時間の飛行を終えるころ、標高2,000メートル級の山々に囲まれた高原の盆地が見えてくる。そこが、人口5,000人ほどの小さな町ワウである。ポートモレスビーとの間には険しい山々が連なり、空からやって来るしかない。
到着地ワウ空港は、山の緩やかな斜面を利用した天然の飛行場である。草原の滑走路に降り立った私は、なにか包み込んでくれるような優しさを感じた。日射しこそ強いが、草と土のにおいのするワウの空気は、夏の高原のようにさわやかだった。
私は迎えに来ていたトラックに荷物を積み、職場となるワウ生態学研究所に向かった。トラックに揺られながら、日本にいればいまごろコンクリートでできたビルにある研究室で、試験管を片手に実験しているだろうと想像した。薬学研究科の大学院を休学して、青年海外協力隊へ参加した私は、出発までに指導教授や研究室の方々に迷惑をかけたことを思い出し、この地での研究を悔いのないように精一杯やろうと決意した。
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