はじめに
パプアニューギニアには、自然を利用する伝統的な知恵がいまも多く残っている。およそ六万年前、この国に最初の人類が住み始めて以来、食べるため、身を守るため、そして癒すために、人々は自然を利用してきた。幾度となく試行錯誤を繰り返しながら、次第にその知識は集積され、次の世代へと伝えられてきた。
文字の存在しなかったこの国では、その知識は口伝えに受け継がれてきた。親から子へ、子から孫へと伝えるうちに、家系が一本の糸のようにつながってきた。さらに、集団生活が始まると村ができ、それぞれに人々が得意とするものを専門として役割ができ上がった。そんな中から、病んだ人を癒す人ヒーラーが生まれ、超自然的な力や薬草を使って病人を治し、さらに村の人々の健康を守るようになってきた。
このような村での人々のつながりは、部族(ピジン語でワントーク)と呼ばれ、現在でも強い結束があり、伝統的な文化や習慣を守っている。1983年の報告によると、パプアニューギニアには740種の言語がある。このような多様な部族独自の言葉の存在は、各村々に独自な文化や習慣が存在することを裏付ける。
ところが近年の急激な近代化の中で、部族社会に大きな変化の波が押し寄せ、各部族が持つ伝統文化が失われつつある。都市部では電話やラジオ、テレビが普及し始め、学校ではピジン語や英語を教え、若者たちは部族社会である村を離れ都市に流れる傾向にある。
豊富にある言語の種類も、現在そのすべてが存続しているか疑問である。言語が消滅すれば、文字のない社会では、その部族が長年培ってきた知識も消滅する恐れがある。自然を利用する知恵である薬草の知識もいうに及ばない。
現代文明の流入とともに、優れた現代医療も導入されている。オーストラリア政府やキリスト教宣教師たちの功績で、かなり奥地までエイドポストと呼ばれる救護所が設置されている。また、ある程度の町や都市には公立のヘルスセンター(診療機能のある保健所)や総合病院もある。公立の機関での医療費は政府がほとんど負担しており、自己負担は少ない。医療福祉の充実した国に思えるかもしれないが、現実にはあまりよく機能していない。つねに長蛇の列ができ、日本の大病院のように三時間待ちの三分診療は珍しくない。
また、しばしば医薬品切れの情報を耳にする。毎年五億円近い予算を、政府は輸入医薬品の購入に費やしているが、430万の人口(1995年)には決して十分でなく、恩恵に与れない人も多い。医療費が政府の財政を圧迫していることも事実で、公立総合病院では経営分析をしたり、診療費の徴収を試験的に導入しているが、人件費が他の発展途上国に比べ先進国並みに高いことや、作業効率などの問題が根本にあり、なかなかよい解決策は見いだせていない。
さらに、近年世界的に熱帯林が、無秩序な焼き畑農業、プランテーション、牧畜業や鉱業による開発、そして林業のため急速に減少している。毎年11万平方キロメートルの森林が消失し、このままではあと85年で完全に熱帯林がなくなってしまうとの試算もある。パプアニューギニアでも、大規模な金鉱の露天掘り跡や、60%の丸太が日本に輸出されているという伐採地を通して、そのことは実感できる。熱帯林は、二酸化炭素の増加や地球温暖化を防止し、地球環境を守る上で欠くことのできない存在であることはいうまでもないが、重要な医薬品資源の宝庫であることも忘れてはならない。
私たちは、パプアニューギニアで伝統的に受け継がれてきた知識を基に薬草を使い、地域の人々の病気を治している伝統医(ヒーラー)たちとの行動を始めた。その中で、彼らが直面している問題を知った。若者たちが伝統社会から離れ始め後継者を確保しにくいこと、政府が伝統医を公認するなど十分な対応がなされていないこと、伝統医としての仕事で経済的に自立できないことなどである。
しかし、彼らの知識をもってすれば、身近で安価な薬でしかも熱帯林の産物である薬草は、必ずやパプアニューギニアが抱える医療の問題に、解決の糸口を見つけられるだろう。
そのため、本来は秘伝である伝統医たちの知識を披露してもらい、私たちの植物学や薬学の知識と掛け合わせて、これらの問題の解決を試みた。決して最終的な結論の出る問題ではないかもしれないが、私たちが体当たりでぶつかって得られたほんの小さな結晶が本書である。今後多くの人がこのような問題に関心を寄せていただければ幸いである。
なお、著者の堀口と松尾は、それぞれ1989~1990年と1991~1993年に青年海外協力隊として現地に派遣された。二人の異なった目でパプアニューギニアの薬草をはじめとする文化や自然を見て体験したことによって、より広い角度からパプアニューギニアを紹介することができると思う。本文中の人名における敬称は略させていただいた。また、本書では薬として利用される植物を、総称して薬草と呼ぶことにする。
堀口和彦
松尾 光
著者あとがき
環境問題は全世界で最も注目される問題となりました。それに併せて、生物の多様性の重要性を訴える動きも盛んになり、一般の人々も生物の多様性を大切なものと認識するようになってきました。しかし、なぜ生物の多様性は重要なのだろうか?こうした簡単な疑問にも答えられない人は少なからずいるのではないでしょうか。読者の方が本書を通じ、伝統的な医療や薬草の素晴しさを感じとって、なぜ生物の多様性が大切なのかを理解する上で本書が少しでもお役に立てば、著者らとしても幸いで、本書の目的もほぼ達成したことになるでしょう。
本書はパプアニューギニアの薬草文化という日本人にとって、きわめて特殊な分野の話で、それに関する学術書としてではなく、気軽に読んでいただける読み物となることを心掛けて執筆しました。また、この分野には植物学、薬学、民族学をはじめとしてさまざまな専門領域が交差しており、浅学な著者らが総合的に執筆することはきわめて困難であり、この辺の事情も理解していただき、もし、こうした分野に深く興味のある読者の方がおられましたら、ご連絡下されば幸いです。
パプアニューギニアの伝統医学は現在、熱帯林同様、存続の危機にさらされています。しかし本書を通して、伝統医学はいまでも現地の人々の健康に少なからず貢献していることをご理解いただけたかと思います。今後現地の人々が改めて伝統医学を見直すこと、並びに日本の読者の方々からも厚いご支援をいただけるよう願って止みません。今回本書で紹介した薬草の知識は、伝統医や現地の人々の貴重な知的財産です。研究や医薬品開発に利用される場合には、その結果や利益が現地の人々にも還元されるようにご配慮をお願いします。
本稿を終わるに際し、外国人である著者らに、数多くの素晴しい秘薬と治療を紹介してくれた伝統医オイバ・ウィウィスクさんに心から感謝いたします。併せて調査あるいは本書執筆に関して協力していただいた左記の皆様にも心から深謝いたします。
パプアニューギニアでの現地調査を二年に亘り助成され、資料館双書にこの原稿を推薦して下さった小山鐵夫先生(日本大学生物資源科学部資料館教授)。秘伝の薬草を公開してくれた伝統医レベッカさん、ヤーネスさん。調査に協力し、サポートしてくれたハリー・サクラスさん(ワウ生態学研究所所長)、クレメン・ビクターさん、オロ・ゲビアさん、カイロ・アルベルトさん、アイザック・アブラハムさん、アンドリューさん(以上ワウ生態学研究所スタッフ)、石田政幸さん、小野寺健三さん、丸田秀土さん(以上国際協力事業団青年海外協力隊のOB)。貴重な写真、資料を貸して下さった津谷喜一郎先生(東京医科歯科大学助教授)、松香宏隆さん、鈴木知之さん、高塚成久さん。執筆にあたって数多くのアドバイスを下さった大石邦夫先生(日本大学生物資源科学部農芸化学科教授)、内山寛先生(日本大学生物資源科学部応用生物科学科専任講師)。出版の機会を与えて下さった日本大学生物資源科学部資料館の皆さん。原稿でお世話になった鈴木俊策さん(朝日新聞社)。そして本書を作って下さったアボック社出版局の毛藤圀彦社長、担当者の小嶋明人さん、西野賢さん。
皆様、ありがとうございました。
一九九八年三月堀口和彦
松尾 光
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