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カメラ毎日 紹介記事

北米インディアン悲詩 /1898~1928 エドワード・カーティス写真集

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1984年4月 カメラ毎日

「森へ」 ダリウスキンゼイ写真集

「北米インディアン悲詩」 エドワード・カーティス写真集


写真というテクノロジーの皮肉 (粉川哲夫氏)

19世紀末から20世紀にかけてのアメリカ合衆国の辺境地帯が舞台となっている二冊の写真集『森へ』と『北米インディアン悲詩』を続けてながめる機会を得、わたしはあらためて歴史の皮肉、というよりもテクノロジーの皮肉というものを考えざるをえなかった。

『森へ』は、写真家というよりも写真師として一生を送ったダリウス・レイノルズ・キンゼイが、1890年から1925年にかけてワシントン州の森林で巨木を伐採する労働者たちの姿を撮った厖大な写真コレクションの一部をディブ・ボーンとロドルフォ・ペチェックが編集した原典をもとにしている。 『北米インディアン悲詩』は、写真家であるよりも文化人類学者であったというべきエドワード・カーティスが、白人入植者の侵入のまえで滅亡の危機にひんしていたインディアンたちの日常生活を記録した写真群をもとに、北米インディアンの詩、解説等を付して富田虎男が監修したものである。

キンゼイとカーティスに共通するのは、被写体を撮り、記録するということへの限りない情熱だ。 キンゼイは、ここに再プリントされている写真を販売していたのであるが、それは商売というにはあまりにささやかであり、信じられないほど重い大量の機材をもって森林の奥深くまで写真を撮りに分け入る彼の情熱は、どんなに忙しくても安息日には決して仕事をしなかった敬虔なこの19世紀人の宗教的な信念から発しているかのようにみえる。また、カーティスの場合、当時の状況ではインディアンの写真が商売になるはずもなく、彼は、1906年以降にモーガン財団の援助を受けるまでは、登山家、探検家として講演や執筆を行って得たポケット・マネーと友人からのカンパでインディアンの調査をすすめ、写真を撮り続けた。

こうした情熱によって、彼らは、単なる撮影者としてではなく被写体たちの“仲間”として受けいれられた。写真のあいだに挿入された証言のなかで伐採キャンプの労働者の一人は、彼のボスが、山火事の写真を売りに来た無神経な写真屋を追いはらったあとで、「二度とこのキャンプ場に写真屋を連れてくるんじゃねえぞ。ダリウス・キンゼイさんのほかはな」と言ったというエピソードを語っている。また、「カーティスの人と生活」のなかでT・C・マクルーハンは、老首長が、「この男はわれわれと同類だよ。この男は偉大な神秘をわきまえている」と言い、カーティスに一目置いていたと書いている。

しかし、このことはキンゼイとカーティスが彼らの時代を労働者やインディアン自身の置かれた社会・歴史的状況をリアルにとらえていたということには必ずしもならない。

1960年代後半から1970年代にかけて、合衆国では開拓時代に公然と行われた侵略と暴力がその当時者の孫たちによって厳しく告発された。森林の開発や木材の伐採は、鉄道線路の敷設とならんで、アメリカが一つの帝国になりあがってゆくグロテスクな身ぶりの一つであったし、まだ地球資源やエコロジーなどということを全く意識せずに力と物資の所有を信じてひたすら前進することのできた時代を代表する夢多い労働の一つだった。しかし、インディアンたちは、まさにこうした文明―というよりも白人の野蛮なはてしない所有欲の増殖のために、「伐られて、ほとんど殺された《聖なる花咲く樹》がまた生き返るまでには三代かかる」(ブラック・エルク)というわれるほどにまで抹殺の危機に追いこまれたのだった。アメリカン・ニュー・シネマの一つのテーマが、それまでインディアンを狂暴な存在としてしか描いてこなかったハリウッドの西部劇に対する内在批判であり、そのなかからアーサー・ペンの『小さな巨人』やラルフ・ネルソンの『ソルジャー・ブルー』のような作品が出て来たわけだが、インディアンのゆがめられた歴史を掘りおこす作業も、最近の15年間に急速に進んだ。日本でもそうした動きに呼応してディー・ブラウンの傑作『わが魂を聖地に埋めよ』や藤永茂の『アメリカ・インディアン秘史』が出たのは10年ほどまえだった。数年まえに封切られたマイケル・チミノの『天国の門』も、開拓時代がかつての西部劇で描かれたようなロマンや夢とはいかにほどとおいものであるかをうんざりするほどのどぎつさで描いてみせた。

それゆえ、こうした予備知識をもってキンゼイとカーティスの写真に臨むとき、わたしは、彼らの撮った世界があまりに美しすぎ、平和すぎるように思われるのであり、二人の写真家が対象に向かう姿勢が真摯であり、そしてそこに映っている人々が歴史の暴力と無慈悲さとはあたかも無縁であるかのような姿でわれわれのまえにふたたび登場すればするほど、写真というテクノロジー自身にひそむ皮肉を感じないわけにはいかないのだ。キンゼイとカーティスが同化したのは、被写体にであるよりも、むしろ写真のテクノロジーにであった。彼らはカメラと一体になることによって、大地やインディアンを侵略したのと同じテクノロジーの共犯者になり、自分が立っている時代の真の意味を忘れ、被写体への情熱にのめりこむことができた。

しかし、テクノロジーの逆説は、それに同化する人間の意識を裏切り、のり越えるところにある。このことは、カーティスがJ・ピアモンド・モーガンという紛れもない侵略者の資金でこの写真を撮ったということの逆説でもあるが、同時にそれは、キンゼイとカーティスの二種類の写真を今日あらためて別の視覚から読みなおすことができるという逆説的な可能性でもある。


「森へ」34×27センチ・276ページ・アボック社・84年2月発行
「北米インディアン悲詩」34×27センチ・176ページ・アボック社・84年2月発行

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