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北米東部にユリノキ原生林を求めて


1979年9月10日 みとう

車は静かに止まると、前方に突如として竜巻があらわれた。高さは約30メートルと小さいが、その勢いは相当だ。カエデ類やオーク類などの色づいた落葉を黒々と天に吹き上げている。上空の木の葉はやがて様々に舞いながら落ちてくる。鮮黄色のユリノキの葉も、振り子のように大きくウィングしながら滑空している。

五日前、バージニア州の谷間で、三日前にはケンタッキーからノースカロライナの州境でも大きな竜巻を観た。その周辺の植生はユリノキが優先する再生林だったから上空が黄金色に輝やいていて夢のようだった。

しかし、アパラチア山中のこのフェーン現象も自然破壊の落し子だった。きまってハイウェイ沿いに発生するからだ。

アパラチアの十月下旬はすでに典型的な冬乾燥の気候区に入っていた。一日の中に夏と秋と冬があった。今朝ほどは車の窓ガラスが凍てついた。日が昇ると気温は上昇しつづける。じっとしていると空に浮き上がってしまいそうな幻覚に誘われる。陽光が目に痛い。この一帯にはアメリカスズカケノキ、ハナミズキ、ニセアカシア、ユリノキなど、日本でも馴染みの木々が自生する。これらの落葉広葉樹林がいっせいに紅葉している。インディアンサマーと呼ぶ、アメリカで最も詩的で、美しい季節だ。

私はいま、アパラチアの南端にあるロビンスピルという小さな町に行きつこうとしている。この町の10マイル先、ゆるやかに起伏する湿潤な肥沃地帯に、北米に残った唯一のユリノキ原生林〝ジョイスキルマーの森〟があるーという情報を得たからだ。

ワシントンを発ち、アパラチア山脈の北からユリノキ原生林を探しつづけてすでに10日が過ぎようとしていた。これまで4つの州を超え、各郡(カウンティ)で森林サービス局を訪ねながら、あちこちの峰々に分け入ってみた。ユリノキは時折り谷間いっぱいを埋つくし、ある時は山の斜面を帯状に群って登りつめていたが、その全ては三次林・四次林といわれるもので、原生木は皆無だった。こうまで破壊しつくしたどんな理由があったというのだろう。

その日の夕刻、私はめざすロビンスピルに着いた。が、二軒つづけて宿の門前払いを喰ってしまった。アパラチアに入ってもうこれで6度めの苦い体験だ。理由は分っていた。私の顔と目と長髪が原因だった。チェロキーに間違えられている。

宿主たちが私に浴びせてきた拒絶の目は、釈明のわずかな言葉さえも決して受けつけない一方的な冷さを帯び、明らかに人種偏見のそれであった。

こうした目は、身に覚えがなく突然に向こうからやってきた。ニューヨークのウエストサイドのYMCAで私を執拗に追い回わし、待ちぶせては〝死ね〟〝殺す〟とわめいていたあの気違い白人の目。シュナンドゥ河畔の知らずにわけ入った民間林の中で、その家人から浴せられた冷やかな目、そして向けられたライフルの銃口。私がかつて旅をした他の国々ではありえないことだった。GET AWAY!(出て行け!)‥、自由と民主主義の国「アメリカ合衆国」に差別と偏見と拒絶があった。そしてごく自然な形で、私は、自分の中にも人種偏見の芽ばえを感じていた。

私は、三軒目の郊外の安ロッジで、アメリカの国と白人たちが犯した、取りかえしがつかない罪について考えていた。

かつてアパラチアの峰々は、人も車も通すこともなく黒々とした森林におおわれていた。この山すそ一帯は、広大な丘や谷や湖があって、ここはチェロキーインデアンの大切な狩場であった。この豊かな地にユリノキは亭々とそびえていた。この木の材は乾くと柔らかく軽やかで、その上吸湿しないので、彼らは〝カヌーツリー〟と呼んでその幾本かを倒し、中をくり抜いて丸木舟をつくった。しかし、こうした平和な生活は、やってきた白人たちの一方的な取りきめと強奪によって破られる。一八二六年、チェロキー族は不毛の地アーカンソーまで追われる。この悲惨な強制移住の儀式は、約三万人の武装した白人たちの見守る中で整然と行なわれたという。しかし過激な幾人かは深い森の中に逃げこんだ。

ベトナム戦争を思いおこすまでもなく、戦争は自然をも破壊しつくす。アパラチアの原生林の破壊は、白人の侵入ととも始まった。その後数十年の開拓は、深い山中に潜むインデアンを殺すことであり、移動した連中が帰ることのないように森の木を倒すことであった。鬱蒼たる原生林への恐怖感も働いた。手のとどかぬ奥地には火が放たれた。こうして、数十年もたたぬ間にアパラチアの原生林は絶滅した。翌朝、私は奇跡的に助かったユリノキ原生林、ジョイスキルマーの森の中にいた。

巨大な自然倒木の橋を渡ってしばらく行くと幾本かのユリノキの巨樹が見えてきた。探し求めてきた唯一のユリノキ原生群だ。樹令三~四〇〇年を数える大樹は50㍍近くの高さですっくと立っている。私はここで直径2㍍近い最大樹をみつけ圧倒された。それは根元から太さを殆んど変えることなく幹を40㍍にも直立させ、その堂々たる姿は、これまで私がみたどんなユリノキよりも立派だった。

その木の下で子供達が遊んでいた。その中に一人の黒人の子がいた。それは十日ぶりに見る黒人の姿だ。その子を私は不思議なものでもみるように見つめていた。幾組かの若いハイカーもやってきて通り過ぎていった。しばらくすると一人のジーパン姿の男に話しかけられた。バージニア州から車で4時間かかってこの森にやってきたという。その男に私は昨夜の考えを伝えてみたくなった。男はじっと聞いていたが、やがて、「過去は君の言う通りだが、過ぎたことだから仕方がない。でもアパラチアの森林は今に昔のようによみがえるだろう。私はエコロジストだから、それをやりとげる責任がある」ーといった。本当に過去のことは仕方がないのだろうか。とりかえしのつかないことは諦める以外に道がないのだろうか。私の気持は晴れなかった。男は別れぎわ、自分は「車のセールスマンだ」といった。


ユリノキ(Liriodendron tulipifera) は北アメリカ東部に自生するモクレン科の落葉高木。日本には明治7年ごろ渡米しその苗木が今、新宿御苑と小石川植物園で大樹となっている。他に上野国立博物館前庭や迎賓館前の並木などでは端正な樹形と美しい花が楽しめる。花は5月上旬、形がチューリップ状で大輪。葉形は印絆纏に似て珍らしく、他の樹木と容易に区別できる。葉形から別名をハンテンボクという。秋に黄金色に紅葉する。樹形は通直で生長も極めて早いので最近、街路や庭に植えられるようになった。若木では年に1mも成長する。ユリノキ化石はこれまで地球上で24種が発見(日本列島には1500万年前に自生していた)されているが、現存種はユリノキとシナユリノキ(中国原産)の2種のみ。発芽率が極端に悪いことから植物生態学では〝衰退期にある樹〟とされている。シナユリノキは日本では珍木で、小石川植物園と有竜アボレータム(埼玉県川越市)で花がみられる。


著者・毛藤圀彦氏は植物に関する出版やキャンペーン企画などを手がける(株)アボック社を主宰。ユリノキは同社プロジェクトが5年にわたってそのルート調査や植栽分布調査・実生実験などを実施。原産地取材は昨年10月に行ったもの。現在、同社グループは小笠原諸島の固有植物を追跡取材中。



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