今、NHK朝ドラ「らんまん」放映を機に、日本植物学の父・牧野富太郎博士の業績とその研究活動を引継ぐ方々が注目を浴びています。
Aboc社初代会長の毛藤勤治博士は、自身も盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)時代に交流した牧野博士の言葉「樹と友だちになろう」を根底に「植物名ラベル」の開発案を創出したと聞いています。その経緯・想い・ご縁から、私も牧野植物同好会とは格別な植物の関係の場とし、会誌『MAKINO』の創刊から16年間(1983年~1999年(53号)まで)、編集デザイン・制作担当を務めました。
今回連載中のAboc花の美術館第17回は、そうした博士のマインドを未来へ引継ぐ牧野植物同好会の活動と歩みを広く伝えるべく、平成3年7月に発行され、当社編集部が制作を担当した同好会創立八十周年記念誌『MAKINO 80』を特集します。
今回のこの電子版掲載に際し、牧野植物同好会および牧野冨太郎博士ご親族の皆さまの許諾を賜りました。ここに感謝申し上げます。また『MAKINO 80』発刊当時と今回、牧野博士写真の収集・掲載協力をいただいた博士ご遺族の皆さま・高知県立牧野植物園・練馬区立牧野記念庭園に改めて感謝申し上げます。
(Aboc会長・元牧野植物同好会会員 毛藤圀彦)
『MAKINO 80 ─ 東京植物同好会・牧野植物同好会 八十周年記念誌』 電子ブック(全314ページ)
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植物はわが友
牧野富太郎
佐竹義輔監修 中村浩編『牧野富太郎植物記Ⅰ』あかね書房刊よりわたしは幼いころから植物が大好きでした。ものごころつくころから、わたしは草花をながめたり、つみ草をして遊ぶのを楽しみにしていました。わたしは自分を植物の精だと思っています。
人の一生で、自然に親しむということほど有益なことはありません。人間はもともと自然の一員なのですから、自然にとけこんでこそ、はじめて生きているよろこびを感ずることができるのだと思います。
自然に親しむためには、まず植物や動物となかよしの友だちになることです野や山の植物や動物にかぎらず、路傍の岩石や空飛ぶ雲ともなかよしになれます。なかよしになるためには、あいてをよく知らなくてはなりません。自然に親しむためには、まずおのれを捨てて自然のなかに飛びこんでいくことです。そしてわたしたちの目に映じ、耳に聞こえ、はだに感ずるものをすなおに観察し、そこから多くのものを学びとることです。自然はわたしたちにとって得がたい教師です。ただ、ぼんやりながめていてはなにも得るものはありませんが、学ぼうという気持ちさえもっていたら、自然はじつにいろいろなことをわたしたちに教えてくれます。
わたしは、幼いころから今日まで草や木を友、いや先生としてきましたが、わたしは植物からいろいろなことを教わりました。いくら学んでも学びつくすということはないのです。自然はそれほどおくゆきの深いものなのです。
わたしの一生は、お金にめぐまれず貧乏続きで、食べるものにも困ったほどつらい目にもあいましたが、わたしは少しもみじめな気持ちや、さびしい気持ちになったことはありませんでした。わたしは大自然という母のふところにいだかれ、植物というなかよしの友だちがいたからです。
植物となかよしの友だちになるためには、まずその植物の名を知ることです。植物にはみなそれぞれ名がつけられています。その名を正しく知ることが植物に近づく第一歩です。あいての名も知らないでなかよしになることはできません。
わたしたちの目にふれる植物はそうやたらに多くはありません。道ばたや野原にはえる野草や庭の草花の名をおぼえることもそうむずかしいことではありません。近ごろはりっぱな植物図鑑や原色写真の美しい植物案内書がいろいろ出版されていますから植物の名をおぼえることも、むかしに比べればずっとたやすくなっています。
わたしの子どものころには、こうした便利な書物はほとんどありませんでしたから、一つの草の名をおぼえるにもずいぶん苦労したものです。
植物の好きだったわたしは、野山に遊びにいったおり、美しい花の咲く草や、奇妙な実のなる木などにこころひかれていましたが、だれ一人として名を教えてくれる人もいませんでしたし、名をしらべるに必要な書物もありませんでした。しかし、わたしはいろいろ苦労して数冊の本を手に入れ、これを手がかりに自分で植物の名をしらべていきました。
草の名を知ると、その草はもうわたしのなかよしの友だちになりました。わたしはなんどもこの友だちにあいにいって、花のしくみや、葉の形、実のすがたなどをこまかくしらべ、しっかりと頭におぼえこみました。
それからというものは、いつどこで出会ってもこの草はわたしにほほえみかけてくれるようになったのです。
植物についての知識を深めるには、書物の絵や説明文を読んだだけではだめで、どうしても実際に野や山にでかけていって実物に接することが必要です。植物採集をおこない、標本をつくることも必要です。
植物を標本、つまり押し葉にして自分の手もとに保存しておけば、いつでも見たい時にその植物を見ることができます。
標本がたくさんたまってきたら、それを分類して、キクのなかま、イバラのなかま、アブラナのなかま、スミレのなかま、キンポウゲのなかま、ユリのなかまというように整理しておけばいつでもたやすくさがしだすことができます。
わたしは90年という長い年月のあいだに数多くの植物標本をつくりました。その数はちょっと数えきれませんが、少なくとも50万はあるでしょう。
この標本は、ふつうの人にはつまらぬ枯草の山のように見えるかもしれませんが、この標本はわたしが日本全国をくまなく歩いて採集した苦心の作品で、わたしにとっては思い出のたねであり、努力の結晶であり、なにものにもかえがたい宝物なのです。ひまさえあれば、わたしはこの標本をながめて、その植物を採集した当時のことを思い出したり、その植物について得た数々の知識をかみしめて味わうのを楽しみにしています。こんな幸せがそうざらにあるものでしょうか。
人間は忘れっぽいもので、植物の名をちょっとおぼえたぐらいではすぐまた忘れてしまいます。くりかえし、くりかえしおぼえる努力も必要です。しかし、子どもの時におぼえた名は、強くあたまにやきついていてなかなか忘れないものです。ですから、わたしは、少年のころに草の名をおぼえたり、昆虫の名をおぼえておくことは、その人の生涯にとって幸せなことだと思います。
人生をゆたかに、心楽しく暮らすには大自然を友とする人でなければなりません。
散歩をしていても、道ばたに咲いている草や、林のなかにしげっている木が、みな自分の知りあいだったらどんなに心楽しいことでしょう。
ふつうの人が、雑草とか雑木とか一ロにいって片づけてしまう草や木にも、その一つ一つに名があり、物語が秘められています。
道ばたに咲いている一つのスミレの花にもおとぎばなしや小説にもまさるおもしろいピソードがかくされています。このエピソードを知ることによって、植物への親しみはますます深まっていきます。小説などでは時々、名も知れぬ草とか名無し草などと書かれていますが、今日では名のない草などはありません。こんなことをへいきで書くようでは困ります。自分の無知を表明しているようなものです。
わたしたちの住む地球は、みどりの植物でおおわれ、美しい花が咲きみだれているすばらしい星です。このすばらしい星に生を受けたわたしたちは、大いに感謝しなければなりません。
もしもこの地上に植物がなく、花一つなかったとしたら、この地球はあらあらしい岩石でおおわれ、砂あらしの吹きあれるすさんだ星だったにちがいありません。植物がなかったら、動物も生きてはいられず、人間もあらわれなかったことでしょう。
植物はわたしたちのいのちの源です。生きるためのエネルギーをあたえてくれるものです。そして、この植物が役にたつばかりではなく、美しい花を咲かせ、人の目を楽しませてくれることは、なんとすばらしいことでしょう。
聖書にも「ソロモンの栄華も、野のユリの花一つの美しさにおよばない」と書かれています。つまり人間が、どんなに美しく着かざってみても、とうてい野の花一つのよそおいにもおよばないということです。人間の知恵は文明をきずいてきましたが、決して完全なものではありません。しかし、自然は完全なものをつくりだしています。ユリの花一つにしろ、スミレの花一つにしろ、とうてい人間がつくりだすことのできないすばらしい造物の傑作なのです。つまり、人間があたまを下げざるを得ない造化の妙なのです。
花は大むかしから美しいものの代表とされてきました。その美しいすがたが、どれほど人間の心をうるおしてきたかわかりません。
古事記という大むかしのことを書いた本にはコノハナサクヤヒメ(木之花佐久夜比売)という美しい女性のことが出ています。この女性は本名をカムアタツヒメ(神阿多都比売)というのですが、花のように美しい女性だったので木の花が咲いたような姫、つまりコノハナサクヤヒメとよばれるようになったのです。このように大むかしから、花は美しいもの代表とされていましたが、今日でも同じことで「花のような美人」などといって、花は美しいものと決まっています。
花ということばは、はじめから美しいものをよぶ名でした。そして人間は花を愛するあまり、野の花を栽培し、改良して、今日見られるような美しい数々の園芸品種をつくりだしてきたのです。サクラ、ハナショウプ、キク、ユリ、シャクヤク、サツキ、アサガオ、ツバキ、ランなどの改良した花は、今日ではすでにその野生のすがたをしのぶことさえできないほど変化してしまっています。
花を見ると、ふつうの人は「ああ、きれいな花だ」「この花は珍しい」などといって、花の美しさやみにくさを論じたり、珍しいか平凡かを話題にしたりしてすませてしまうことがよくあります。また、美人にであったように、ただうっとりとながめて、その色や形に心をうばわれてしまいます。しかし、これでは、ほんとうに深く花のすばらしさを味わうことはできません。花を味わうには、こまかいところまで、よく見きわめることが必要です。このためには花に関する正しい知識と理解がなければなりません。
この知識があれば、どんなにみすぼらしく見える道ばたの雑草の小さな花も、すばらしいものであることがわかってきます。ふつうの人の知らない美しさを知ることができます。
わたしたちが、人に会ったときにいちばん注意するのは、その人の顔です。これと同じようにわたしたちが草木に接するとき、いちばん強く心をひかれるのは花です。ふつうの人は花がなければ見向きもしません。また、たとえ花があっても美しくなければながめようともしません。
花は、いわば植物の顔ですが、人の顔が千差万別であるように花の顔もまた千差万別です。人間の顔には人相というものがありますが、花にもまた花相というものがあります。花を知るにはこの花相というものをこころえておく必要があります。ただばんやり花をながめていては、ただ単に「美しい」とか「珍しい」とかで終わってしまいますが花相を知っていれば、くめどもつきないおもしろさを味わうことができます。
人間はともすると思いあがって科学万能などとうそぶいて得意になっています。なるほど人間は科学によって文明をおしすすめてきました。しかし、人間が大自然に対しもっともっと謙虚にならないかぎり、科学が人間をほろぼすことにもなりかねないのです。
むかしから、植物を愛する人には悪人はいないといいます。これはたしかに一理あることだと思います。今日の機械文明は人間を大自然から引きはなしてしまいました。その結果人間の心がすさんでしったのです。植物を友とし、大自然をあいてにすれば、こうしたすさんだ気持ちもいやされるのはたしかです。
知識というものは、いくら吸収してもさいげんのないものです。ここに学問のおもしろさがあります。わたしはその一生を植物の研究にささげてきましたが、たとえあと百年生きたとしても、とうてい植物の全部を知りつくすことはできないでしょう。学問というものは、それほどおくゆきの深いものなのです。
『MAKINO80』発刊によせて 会長(当時)川村カウ氏のあとがき
1911年(明治44年)、「東京植物同好会」発足以来今年がちょうど80年になります。この80年を祝って、記念誌を作ることになりました。急な企画で、急なお願いになりましたにもかかわらず、先輩の先生方をはじめ会員の皆々様から、色々な資料・写真・記念品・原稿などをお送りいただき、同好会の皆々様の御支援を感じ、感激で一杯でした。
この80年を顧みますと、一番に思い出されるのは、昭和58年に牧野植物同好会の300回を祝い記念誌『MAKINO』が創刊できたことです。この記念誌が出来るまでのことは『MAKINO』の創刊号で申し上げましたが、これは久内清孝先生のおかげだったことはいつも私の脳裏をはなれません。思いかえしては、深く感謝致しております。
とくに伊藤洋・林弥栄・深津正・許田倉園・長谷川義人の各先生達が、永い間玉稿をおよせくださり、また折々には会員の皆様のご協力をいただき、また同好会の運営委員の先生方のご尽力により、今後ともよき同好会として育っていくことを信じております。
平成3年1月の室内会は、『MAKINO』創刊以来385回目で、小さい会の方も24回になりましたので、通算するともうすでに400回を超しております。
これからも皆様のご協力で発展して行くことでしょう。ことにこの度80年の記念誌発刊にあたり橘郁・中嶋英敏・早坂𨑍・横山譲二の編集委員、アボック社の毛藤圀彦社長・小綿周平氏・濱名厚宣氏・稲村毅氏に、また校正では細谷正之氏に並々ならぬお力をいただきました。
さらに事務的な複雑なお仕事は、細山善行氏・鍛代スミエ氏・中村良子氏達が受持って下され、すべてがスムースに運ばれたことに、深くお礼申し上げます。
わが家のモクゲンジの花が、今も毎年、忘れずに見事に花咲きます。黄色のあざやかなモクゲンジの花が咲く限り同好会の会誌も永く咲きつづけることを念じて、皆様にあらためて厚くお礼を申し上げます。
尚、本誌編集途中で林先生が急逝されたことは誠に残念です。ここにご冥福をお祈り申し上げます。
1991年6月 川村カウ
同好会の歩み
牧野富太郎先生の業績と東京植物同好会、牧野植物同好会の歴史
牧野先生の業績については高知県立牧野植物園の『牧野富太郎先生のおもかげ』及び中村浩編の『牧野富太郎植物記』あかね書房刊より引用させていただいたが、同好会の記録となると、昭和30年以前のことがさっぱりわからずに困ってしまった。しかし、わずかに残る記録を何とか集め断片的ではあるがつづってみた。遠い昔のことなので電話でおたずねしても記憶というものは、さだかでないことが多いのに気がついた。ひょっとすると、ここに書いたことにも間違いがあるのではないかと思うので、ぜひご指摘いただきたい。また昭和30年以前の同好会に関する葉書、印刷物メモがあったら実物なり、コピーなりを同好会事務所に送っていただきたいのです。
後日の追加訂正のためにぜひよろしくおねがいします。
編集委員・横山譲二
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『MAKINO 80 ─ 東京植物同好会・牧野植物同好会 八十周年記念誌』 電子ブック(全314ページ)
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