ウェスタン・オーストラリア州は、面積252万5500km2(日本の6.63倍)で、オーストラリアの全土(768万23 km2)の三分の一を占め、大陸の西側のインド洋に面した最大の州である。人口136万3,200人の半数以上が州都のパースに住んでいる。パースは年平均気温18.2℃、降水量は東京の半分の805.8mmである。
ウェスタン・オーストラリアは一六一六年、パースから北西1,000kmのカーナーボン付近のシャーク湾に上陸したオランダの航海家ディルク・ハルトグにより発見され、一六一八年、フォン・エデルス、一六一九年、フレデリック・ハウトマンらによって海岸沿いを中心に探検された。
イギリスは一八二八年にスワン川流域に植民を開始し、一八二九年五月二日、チャールズ・フリーマントル船長によってこの地域のイギリス領有を宣言した。その後一八五〇年から一八六八年まで、この地方の開発の手段として英国政府は囚人を送り込んだ。
囚人の中には、パンを一切れ盗んだ疑いの女性や喧嘩して相手を殴ってしまった者、博打で挙げられた者など、軽犯罪を犯した者までこの流刑の地に送り込まれたという。
一九九五年十月十四日、二十一時十分、パース国際空港着。成田から十時間十五分のフライトであった。途中スラウェシ島(セレベス島)あたりの上空でエアポケットに遭遇し、機体が大きく落下した。シートベルトを着装していない客は座席から放り出されてしまった。通路に立っていた乗客の一人は天井に頭をぶつけて医者を探すありさまだったが、幸い軽傷で済んだ。仲間内では、下田さんが隣の席まで放り出されたが全員無事であった。
カンタス・オーストラリア航空は設立以来、無事故記録を誇っており、世界でも一番安全を売り物としている会社である。このアクシデントはベルト着装の指示もなく、全くの青天の霹靂であった。レーダーは気流の悪い積乱雲を予見できるが、雲のない場所では無能である。筆者もよく南西諸島でYS11に乗りエアポケットを経験しているが、機体が大きいほど落下速度が速く、今回のようなことは初めてで、おそらく数百mは一気に落ちたと思われた。
シェラトン・パース・ホテル着。現地商社マンの奥瀬さんが出迎えてくれている。彼は今回も同行している三浦氏(三浦花園)の知人で、昨年十一月、秋庭氏(秋庭グリーンサービス)の現地結婚式の立会者として、またガイドとしてもお世話になった方である。奇遇にももう一組の出迎えがあった。長松真由美嬢(植物同好会会員)とその母上である。われわれのパース行きを聞きつけて一足先に来ていた、とのことであった。
○ワイヤレスヒル
十月十五日。バスにて市内にある自然公園ワイヤレスヒルに向かう。ここは標高約50mで、今日は日曜日とあって、家族連れが指定された場所でバーベキューをしたり手持ちの弁当を広げているのがチラホラみえる。何せ広大な土地(日本の20倍)に人口は九分の一の1,700万人。上野の山の花見のような過密現象はどこを探してもない。
ところでこの植生は何だろうか。私達が今まで見てきた植生とは全く異なる世界である。鉄やマンガンを基盤とした砂利で、土壌といえる層はない。保水力のない痩地である。月に100mm以上雨が降るのが五月から八月の四ヶ月間、ほかは乾期である。こんな劣悪な環境にも、生物は適応変化してわが世の春を謳歌し、百花繚乱!しばし目が眩むようなカルチャーショックを受けた。
バンクシアはドライフラワーで、カンガルーポー、ワックスフラワー、ハルデンベルギアなどは単体の鉢物として日本でも見ることができるが、それぞれが同じ場所で、混生している場面(植物相)は初めてである。
われわれの業界は単体の鉢物を基準として、寄せ植えやインドアガーデンなどのグリーンアレンジ作るが、それぞれの植物がどんな土地や環境に何と一緒に生えているのかという植物相を知る人はまだ少ない。
そんなことは知っちゃいないと割り切っているのが、切花を取り扱う業種やデザイナーで、切花は色気とか格好だけで植生や植物相が無視され、それだけでお金がもらえると思っているのである。
短命で刹那的な作品には、生物的思いやりは不要。切ったものは生き物でない商品なのかもしれないが、卑しくとも根付きの物を使い観賞期間が長い作品を作るわが業界は、それらを充分知らなければ商売として成り立たない。飯を食わせてもらっている素材を充分知ることこそ礼儀である。
ワイヤレスヒルで、先ず目立ったのはソテツのような姿をしている通称グラス・ツリーと総称されているクサントロエア(Xanthorrhoea arborea)で、属の和名はススキノキ属。仲間はオーストラリアに十種のほか、ニューギニア、ニューカレドニアに分布している。ちなみに、この属が分類されるススキノキ科は九属六十種からなる。
ススキノキ属で大形のものは幹が高さ5mにもなり、山火事で焼かれた幹肌は真っ黒なのでブラック・ボーイの別名がある。むろん国外持出禁止であるが、最近切葉をスチールグラス、花序をカンガルー・テールと呼んで日本の市場に出荷されている。
先住民のアボリジニーは乾燥した花茎を焚きつけに使い、葉の基部を食料に、樹液を接着材やコーキング材として利用していた。
木立を形成しているのは、バンクシア(Banksia)でちょうど花期である。ヤマモガシ科独特の花形で、種によって花穂の長さや花色も異なり、橙、赤、黄、紫、茶などの色がある。花後は木質球果状の集合果を作り、中には山火事に焼かれて、500℃以上の熱にさらされると、果皮が割れて種子が散布されるものがある。ヤマモガシ科のバンクシア属は七十種ほどあるといわれ、ほとんどがオーストラリア固有種である。
乾燥の大陸オーストラリアは山火事や野火は日常茶飯事で、ユーカリやドリアンドラなど、植物の多くは何万年もかけて火を生活のサイクルにうまく取り入れているのである。
パースの住宅街の庭はよく手入れが行き届き、ユリオプスデージー、コスモス、スターチス、スイートアリッサム、ガザニアなどが花盛りで種類も多い。不思議と現地の固有種は見当たらず、カンガルーポーやローダンセはワイルドフラワーで野原にあるものと割切っているのかもしれない。
庭園樹にはブラシノキの仲間(Callistemon)、フランスゴムノキ(Ficus rubiginosa)などが使われ、ジャカランダの開花と見えたのは、センダンの大木であった。奇異と感じられたのは一つの庭にシラカバとインドゴムノキが並んで植えられていることで、尤もパースは七月の厳冬期でも、平均11.9℃で降霜、降雪はほとんどない。
バス移動中、二ヶ所の個人の庭にリュウケツジュ(Dracaena draco)が植えられていた。リュウケツジュ(竜血樹)はカナリア諸島が原生地で、樹液からdragon's-bloodといわれる樹脂が採れ、長い間赤色染料として使われてきた。幹は太くなり、成木になると分岐した樹冠は傘のように広がる。寿命は永く、かつてカナリア諸島のテネリフェ島にあった個体は推定樹齢六千年といわれていた。無霜地帯でドライな環境は原生地と似て、土地も合うのか元気に育っているのが印象的であった。
○キングズパーク
昼食はスワン川に面したキングズパークでとる。この公園は市の中心に隣接しており、面積404haの大自然公園で、マウント・イライザ展望台からはパース市街を一望にできる。展望台には戦没者慰霊碑とともに戦勝記念碑もある。むろん相手国は日本で、オーストラリアは自国およびその周辺で戦ったのは、日本が唯一の国である。
ここにはウェスタン・オーストラリア州に自生する植物を集めた見本園がある。ユーカリ、バンクシア、アカシア、グレビレア、中でも驚いたのが、ガイミア・リリー(Doryanthes excelsa)の開花。全体にウスバリュウゼンラン(Furcraea foetida)に似ているが、花柄が7、8m立ち上がり、花は赤色。ドリアンテス属は三種がオーストラリアにある。
この地域のマメ科では、日本には、ハルデンベルギア(Hardenbergia violacea)一種が生産されている。半蔓性、紫花をつけ、耐寒性もあり、Purple Coral Peaと呼ばれている。
自然植生が残されている場所は、ムルガと云われている乾燥植生が保護されている。ムルガは高さ10m以下のアカシア属が優占する疎林で、極端に栄養分の少ない土地である。
オーストラリア大陸は地球誕生から約五億年経た四十億から三十八億年前の岩盤上に中生代(二億四千七百万年から六千五百万年前)の堆積層がある。岩石は気の遠くなるような長い年月をかけて風化し、土地の養分が風や水の力で流され、まったく土壌というものがないのである。
フトモモ科ユーカリ属の林は、川沿いの氾濫原など比較的栄養分の多い土地にあり、アカシア属とはあまり混生はしていない。日本ではキンポウジュあるいはブラシノキと通称されているフトモモ科カリステモン属(Callistemon)は、オーストラリアとタスマニアに三十種の固有種がある。日本へは明治中期に数種導入され、一般的に見られるのはハナマキ(C. citrinus)、マキバブラシノキ(C. rigidus)の二種で、いずれもボトルブラシ状の赤花であるが、現地には花が偏側生する歯ブラシ状のものや花色がピンク、白、黄などがある。街路樹に使われているものは高さ4、5mである。スタンド状に作られたキャプテン・クック・ボトルブラッシュ(C. viminalis)は、枝垂れた小枝にブラシ状の花をたわわに着けた様が見事である。
○カイビー・ファーム
午後二時、キングズパークを離れ、国道一号を南下した。途中オールバニー・ハイウェイに分かれる。この国道一号は大陸の縁に沿って一周しており、その距離は1万km以上あるといわれ、世界一長い国道である。ほかに交通機関で世界一は、ナラーバー平原を横切る大陸横断鉄道で、カルグーリーからタークーラ間の約1,300kmがほぼ直線区間である。中央部の完全な直線区間は500km以上あるといわれている。
今日の宿泊地はオールバニー・ハイウェイを150km南下したウィリアム地区にあるカイビー・ファームである。牧場の面積は約700万坪で、世田谷区の面積とほぼ一緒の中に羊一万二千頭、牛二百頭が放牧されている。住民の数はロッジを管理している人が三人ということである。この辺までくると道路の景色は、ユーカリ林が何十kmも続くかと思うと、一転して両側が何十kmにもわたって牧場という有様で、あまりにも広大であり、たくさんいるはずの羊も注意して見ないと見つからない。まして人の姿を見つけることはもっとむずかしい。
牧場の隅に彩りを添えているのはワックスフラワーである。ウェスタン・オーストラリア州に分布するフトモモ科の常緑灌木で高さ1.2mになる。野生種は五種あるが、改良品種は約二十種ある。花は五弁で白、赤、ピンク、クリーム、赤紫などがあり、最近は日本でもこの鉢物、切花が生産されている。
地境に残されている疎林に一際目の醒めるような黄色のボンボン状花を咲かせているものはアカシア(Acacia)で、現地ではワトルと呼ばれ、国花の一つとされている。アカシアは日本の歌謡曲によく出てくる植物であるが、日本にはこの属は原生せず、すべてが導入されたものである。アフリカ、インド、アメリカ南部にもあるが、オーストラリアに特に多く、四百種以上あり、全既知種の80%以上を占めている。
マメ科のアカシア属、ネムノキ属、ギンゴウカン属などは生長が早く、熱帯の早生造林樹種としてよく使われている。樹皮からタンニンが採れる種も多く、薬用の阿仙薬が採れるアセンヤクノキ(インド原生種)は有名であるが、何といっても知名度ナンバーワンはアラビアゴムが採れるアラビアゴムノキ、アラビアゴムモドキであり、両種ともアカシア属である。
アカシア属の若葉や若莢をアフリカ、オーストラリアの先住民は食用として利用している。アメリカでは開拓時代に生長が早いということで、盛んに丸木小屋や家作りの用材として使われた歴史がある。古代イスラエルではシッタと呼ばれ、聖木の一つとして、「契約の箱」や拝所などに必ず用いられたという。
この牧場のオーナーは日本の商社を通じて食用肉や飼料などを日本に輸出している。オージー・ビーフやラムは日本でもお馴染みだが、牛の飼料としての干草も主な商品で、干草圧搾機や梱包する最新の機械も揃っている。干草は付近の牧場から買い付けて加工されている。日本の港渡しが40kgおよそ四千円で、日本の肉牛の餌になる。飼料まで輸入するので国産和牛肉が高いわけである。
日本国の食糧自給率は十年前より20%台まで落ち込んでいるのが現状で、さらに国内で生産されているものの元になる種子や飼料、肥料などの比率を考慮に入れれば、10%台以下になるかもしれない。折しも今現在(一九九六年四月)は食糧や飼料の国際価格に重大な影響を与えるトウモロコシの価格は、歴史始まって以来の高価で下がる気配はまったくない。
カイビー・ファームのロッジはログハウス風にできており、宿泊部屋数は十部屋あり、レストランやラウンジルームもある。夕食にはビーフやロブスター(ウミザリガニ)をたら腹食べ、オーストラリア産のワインをあおった。
オーストラリアの西海岸はロブスターの天然物の産地で、大きい物は現地消費向けである。イセエビクラスの中型は日本人に好まれ、高価で取引きされ、特にパースの南に隣接するブリマントルは近年、生エビの集積港として有名である。またブリマントルは南極観測船「宗谷」の時代より昭和基地に向かう最後の寄港地で、生鮮食料品や燃料、水などをここで積み込み、南緯五十度の暴風圏を乗り切り、南極大陸を目指したのである。これは新鋭艦「しらせ」に代わってもこのルートは変わらない。
食後は腹ごなしで野生のカンガルー見物となった。カンガルーは夜行性で、昼間はブッシュや岩陰などに寝ており、ほとんどその姿を見ることはない。夜は集団で原野に出没して餌をあさっている。いるわいるわ!自動車につんだスポットライトに反射して目だけが光ったかと思うと、ライトがその姿を浮かび上がらすしかけである。大きいものは立ち上がると人間より丈が高い。これは雄で、雌は一回り小さい。中には腹の袋に子供の顔が見えるものもいる。
カンガルーの仲間は内陸部にアカカンガルー、南部の森林や低木林にオオカンガルーがいる。これらは大型で、他にワラルーやワラビーと呼ばれている小型のもの、キノボリカンガルーなど約四十種いる。カンガルーは原住民の言葉で「私は知らない」という意味だそうだが、これには確実な根拠はなく、今だ「考える」問題である。
オーストラリアでは車とカンガルーとの衝突事故が夜間に多く、ほとんどすべての乗用車からトラックまで頑丈なバンパーが取り付けられている。日本でも車高の高い四輪駆動車の前に取り付けられているのと同じものである。日本では野生動物も少なく、用もない飾りみたいなものであるが、ここでは実用的に重要なのである。街道を走ってもカンガルーの死体(交通事故死)が見つからないのは、素早く肉食獣や鳥が片付けてしまうからである。
十月十六日、北に約50km離れたプロテア・ファームに向かう。街道に沿って延々と直径60cmほどの水道のパイプラインが続く。この辺りは雨量は少なく、おそらく年間500mm前後、水は本当に命の水で何百km先の水源より運ばれてくる。乾燥の内陸部は高木は疎らでイネ科の草原が発達している。各所、特に丘の頂上付近に巨大な岩石の集積した景色があるのは、おそらく氷河期に遠くの岩山から氷河によって運ばれてきたものであろう。途中泉のある小村にて一服。廃屋の給水タンク際に一見、エニシダの開花と思わせるマメ科のゴールデン・スプレー(Viminaria juncea)が見事に咲いている。ニュー・サウス・ウェールズ、クイーンズランドなど、ほぼ全土に分布する固有種で、小枝はエニシダのように下垂せず、三出葉は小さく目立たない。日本に持って来たらヒットしそうな植物だが、多湿の日本の夏に耐えるかどうかが問題である。道路に小枝が鬱蒼とはみ出している植物が目についた。対生で新芽が暗赤色のフトモモ科のEugeniaである。径1cmほどの実を着け、若い果実は緑色、熟れているものは、ピンクから紫黒色。この木は日本でも持っている人は少なく、かつて東光園さんがインドアグリーン協会二十周年式典の時、プリンスホテルの会場に飾られたものであった。協会の前理事長の田丸さんからこの植物の名は知らないか、と尋ねられた思い出のある木である。琉球大学までこの写真を送って調べたが、種名は解らず、Eugeniaには違いないのだが…との答えで、その後の宿題となっているものだった。この旅でオーストラリアの『Encycropaedia Botanica』を買い、調べた結果、どうやらEugenia luehmannii(=Syzygium luehmannii)ではないかと思われた。
泉の際に数本のユーカリがあった。この木にはヤドリギ(Viscum)がビッシリ寄生して、ピンクの実をたわわに着け、少し離れた所からはまったくヤドリギだけしか見えず、枝葉をかき分けてやっと寄主がユーカリだとわかった。これでは軒を貸して母屋を取られるのも同然である。ヤドリギ科は全世界に約七十種あり、ヨーロッパでは、クリスマスにこれを飾る習慣があって家庭の室の入り口にヤドリギを掛ける。日本ではエノキ、サクラなどに半寄生し、果実は粘液を含み、レンジャクなどの鳥に食われ、糞とともに木の枝に着くと中の種が発芽して伝播してゆく。葉はイノシトール(Inositol)を含み、西欧では牛馬の飼料にされる。
プロテア・ファームは数町歩の広さの畑にキング・プロテア(Protea cynaroides)とレウカデンドロンの一種(Leucadendron salignum)が栽培されている。なだらかな北西の斜面に、一直線に幅5から10m間隔で植えられていた。
日本では北側の斜面というと、冬は寒く暗いイメージで、あまり作物が育たないイメージだが、ここは南半球で、方位環境は日本の逆となる。日本でいう東南の角地がこちらでは北西というわけである。キング・プロテアは高さ約1m、レウカデンドロンは約2mになる灌木で、いずれも南アフリカが故郷のヤマモガシ科の植物である。十数年前よりオーストラリアで栽培され、日本にも切花として輸出されているため、ほとんどのフローリスト関係者はオーストラリア原生種と思っているが、とんでもない間違いである。
南アフリカは永年人種差別政策をとってきたので政情が不安定、人々に植物を育てて輸出するなどの余裕もなく、そうこうしているうちに貴重な自国の植物は持ち出され、他国の産業となったわけである。ちなみに、南アフリカの輸出品目は鉄鋼、ダイヤモンド、金貨、一九八二年の統計であるが、その総てが黒人労働によるもので、野菜や果物を生産する大農園は、一握りの白人の持ち物であった。南アフリカを原生地とする園芸植物は、クンシラン、アッツザクラ、ロケア、リビングストンデージー、各種エリカ、オルフィウムなど、観葉では、多肉ユーフォルビア、ハートカズラ、クラッスラ、ストレリチア、アロエ、サンセベリアなど種類も多い。黒人大統領マンディラ氏になって、やっと国情も安定してきた今日、プロテア類の栽培も始まり、原生地から各国に大量に輸出される日も近いと聞く。プロテアはギリシア神話に出てくる自在に姿を変える神プロテウスからとった名で、花や葉のバリエーションの多い植物である。
ヤマモガシ科プロテア属は、南アフリカを中心に熱帯アフリカに約百十種、レウカデンドロン属は、南アフリカに約八十種があり、雌雄異株である。
○ドリアンドラ・フォレスト
ドリアンドラ・フォレストは、パースへの帰り道、オールバニー・ハイウェイとサザン・ハイウェイに挟まれた地域、およそ300km2の広さがあり、保護されている。中心部には、管理事務所、キャンプ場、バンガロー、ガソリンスタンドもある。ガソリンスタンドといえば、日本では何処にでもあるが、ここでは、スタンドとスタンドの距離は平均50km、遠い場所では何百kmも離れているため、住民は、油量計メーターが半分になると給油する習慣になっており、日本のように要給油線の下までの油量で走る車は皆無である。ヤマモガシ科ドリアンドラは、ウェスタン・オーストラリア州の固有種で九十五種あり、樹高は種によって異なるが0.3から2mほどである。バンクシアの近縁種で姿もよく似ているが、全体にバンクシアに矮化剤を施して詰まらせたような格好。葉にはアザミのような刺があり、素手では到底触るのは無理である。この植物は現在、ウェスタン・オーストラリアの極く狭い地域に追いやられ、自生地が限られているが、一千万年以上前には、広く世界に分布していたことが化石によって証明されている。バンクシアと異なる点は、頭花の花床が平らで中高、鱗片状の苞葉が頭花を囲むこと、種子は成熟するとすぐに放出されることである。ヤマモガシ科の植物は、日本にはヤマモガシ(Helicia cochinchinensis)一種があり、分布はインドシナから本州で、日本はこの科の北限とされている。もともとは、南半球を代表する科の一つで約八十属千五百種ある。園芸的には明治の末期導入されたシノブノキ(Grevillea robusta)が、日本の暖地に庭園樹として利用されているのをたまに見る。シノブノキやステノカルプスは、観葉鉢物として見る機会が多い。
ハワイを旅行すると、お土産としてマカダミアナッツ、またはそれをくるんだチョコレートを誰しもお買いになるが、マカダミア(Macadamia integrifolia)の原生地はオーストラリアの中東部。ハワイで大規模に栽培されているので、ハワイの土産となっているだけであり、この点、南中国原生種のキーウィ・フルーツが、ニュージーランド特産になっているのと似ている。ヤマモガシ科の中にはこのように果実が食用となる種もあり、マカダミア属は、約十一種がオーストラリア、ニューカレドニア、スラウェシ(セレベス)島に分布している。ユーカリとドリアンドラの林縁から荒野にかけて、遠目に「雲か煙か」と見紛う、白煙色の花を咲かせているブッシュがある。現地でスモーク・ブッシュといい、やはりヤマモガシ科でこの辺りに固有なコノスペルムム属(Conospermum)である。これは約三十八種ある常緑低木で、高さ1.2mになる総状花序にはかすかに芳香があり、花持ちがよいので、切花として輸出されている。園芸家は何とか栽培しようとしているが、移植が効かず、総てが山採りである。比較的大きいものはツリー・スモーク、小さいものはスモーク・ブッシュと呼ばれる誠に奇妙な植物である。林床のほとんどは裸地で、まばらにクッション状にかたまった草木が、バラエティに富んだ花を咲かせ、地面に張り付いている。一塊になることによって、厳しい乾燥地での蒸散を防ぎ、外敵からも身を守る植物の妙である。
ミカン科ボロニア属、コーレア属、クロウエア属、ビワモドキ科ヒバーティア、グレビレアの極小種などなど、径10から30cmのコロニーがドリアンドラ・フォレストに点在する有様は、今までに見たことのない景観であった。驚いたことにこんな乾燥地にもモウセンゴケ(Drosera)があのネバネバした粘液をもつ葉を展開している。草丈は約20cm、モウセンゴケの生えるイメージは湿地という観念を持っていた筆者は少なからずショックを受けた。世界は広く、この科は約八十五種あって、中には乾燥地にまで進出しているものもある。尤も生えていた場所は太陽がかんかん照りの砂地ではなく、窪みのある地形で、ユーカリやバンクシアの混生林の吹き溜まった落葉が多少堆積した場所であった。しかし掘ってもまるで水気のない所であった。この林は空中湿度が低いため着生植物の姿はなく、立木やブッシュはそれぞれ独立した姿で見られ、異種同士での競合や枝が重なり合う、いわゆるケンカ状態は見当たらない。木本から草本まで一定の間隔をとって生えることは、少ない地中水分や養分を平均的に摂取することにつながる。お互いが共存するのに距離を持つことが必須条件となるわけである。
こんな厳しい環境条件でも夜になれば、有袋類、爬虫類が俳徊するのであろうが、昼間はその姿はない。が…道を横断するトカゲをガイドが素早く見つけ、取り押さえた。ズングリムックリした体長は約40cm、全体が粗いウロコに覆われて、尾は頭と同じ格好をしている。
これは強敵に会った時に相手に尾を向けて動かし、頭と思わせ、咬みつかれた部分を与え、本体はサッサと逃げる一種の擬態で、ここにも永年の生きていく知恵と適応変化が働いている。このトカゲは口を開けると青紫色の舌があり、この地方ではブルー・タングと呼ばれている。トカゲの仲間は灼熱の砂漠から湿地、寒冷地まで適応している。
パースから北約700kmにシャーク湾がある。この湾は数十年前より、地球科学の分野で原始的なラン藻類が生息していることで注目されてきた。このラン藻が生活する過程でマッシュルーム状の岩が形成されるが、この岩は日に日に成長するというストロマトライトである。ストロマトライトは原始地球の大気を変えた生物といわれ、これが現在まで生き延びていることが貴重なこととして注目されているわけである。現在の地球の大気は窒素78%、酸素21%、残りは二酸化炭素、水蒸気、アルゴンなどで形成されているが、地球誕生の四十六億年前は、二酸化炭素と窒素、亜硫酸ガスの大気で、酸素はなかったとされている。
今から三十五億年前、つまり地球誕生より約十億年を経てやっと生命というものが出現したと考えられている。ラン藻類は膨大な量の酸化鉄の堆積層(現在の鉄鋼床)を作り、海中で酸化させるものがなくなると、その酸素は空中へと放出されたのである。現在ある地球の大気は約三十五億年かけて、ラン藻類、後に光合成を行なう陸上植物などによって作られたのである。金星や火星の大気の90%は二酸化炭素(炭酸ガス)であるのに対し、地球では0.03%である。かつては火星などと同じ二酸化炭素の大気であった地球の二酸化炭素は何処に消えたのか?これはサンゴやそれに似た層孔虫類、腕足類といった石灰質の殻を持つ生物が永い年月をかけて、炭酸カルシウム(石灰)として固定させた結果で、その堆積が石灰岩となって、現在世界の各地に残っているわけである。1m3の石灰岩には実に300 m3の二酸化炭素が閉じ込められている。つまり街や通路を作るのに使うセメントは、製造過程において原料の石灰岩から三百倍の炭酸ガスを放出していることになる。産業革命以来大量に燃やし続けた石炭や石油が二酸化炭素の増加の原因となり、毎年1から2ppmずつ確実に増え続けている。産業革命から二百年間で30%以上増加しているといわれ、このまま増え続ければ、二十一世紀の後半には温室効果(地上で暖められた熱は二酸化炭素によって妨げられ上空に発散されず熱が地上付近にこもること)で、地球の平均気温が2から3℃上昇することになる。両極の氷やツンドラが融け(ツンドラ中の有機物が腐り、ますます炭酸ガスが増える)、海面が上がり、世界の主要都市のほとんどが水没するといわれている。
十月十七日、パース。夜には久々の雨となり30mmほど降っただろうか。これだけの雨はこの地方にとっては集中豪雨であり、低地の道路は冠水騒ぎで交通機関が乱れているニュースが流れる。パースは六から七月が月間170mm、十月は52mmで、普段はパラパラ程度で集中雨に対しての備えはない。合わせてこの国は公務員のストライキが認められており、われわれの訪豪中はストライキの最中で、街中の交通機関の乱れに一層の拍車をかけているというわけである。心配していた日本への帰国便は約二時間遅れ、日が変わりストライキがとけた深夜十二時過ぎに、太古の生物達が逞しく息づく、生命力に驚愕した思い出を載せ、乾燥の大陸を離陸した。
完売
[2000/03/25]田中耕次 著 / アボック社 / 2000年 / B6判 286頁
定価1,650円(本体1,500+税)/ ISBN4-900358-51-7
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