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幻の植物求め 小笠原通い ◇南の離島に魅せられ新種発見◇

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毒虫、不発弾におびえ…

離島ブームの昨今とはいえ、さすがに小笠原諸島まで足を伸ばす若者はまだ少ない。東京から中心地の父島まで約千五十キロメートル。船で二十九時間を要する。これでも復帰直後に比べたらずいぶん短縮されたものだが、万事に忙し好きの現代人には向かないのかもしれない。その小笠原に私はかれこれ二十回以上往復している。小笠原固有の植物に魅せられたからであり、それが絶滅の危機に瀕(ひん)しているのを見過ごせないからだ。

小笠原諸島は父島、母島、聟(むこ)島、硫黄の四列島、約三十の島々からなる。戦後米軍の統治下に置かれていたが、四十三年六月、日本に返還された。当時、東京営林局の職員だった私は、返還と同時に当地の国有林調査のため派遣された。小笠原には総面積の七十%に当たる七千百ヘクタール強の国有林が存在するはずだった。それを測量し直し、国有林の経営計画を策定する資料を集めるのが目的だ。私と小笠原の最初の出会いである。

島に入った私は、内地との予想以上の植物相の相違に面くらった。熱帯圏に属する気候で、当然内地とは異なる木や草が生えているだろうとは想像していた。しかし、現実は私の想像をはるかに上回るものだった。それまでの十五年間、関東の山々を歩いて得た私に経験、知識に照らし合わせてみて、名前を特定できるものはわずか四、五種程度に過ぎない。

私は植物学者でもないし、植物の種類を詮索(せんさく)するのが来島の目的でもない。それにしても名前がわからないのは歯がゆいし、ふがいない気持ちもする。そのころは小笠原の植物に関する図鑑類もなく、名称を列記した戦前の資料が残されているだけだった。そこで私は後々の調査の手がかりとなる資料をまとめようと思い立ち、調査の余暇を利用して木本類(木のこと)を中心に植物の採集と標本作りを始めた。

長い間外国の統治下にあったために、島に関する情報は極端に少ない。道路なども未整備のままだ。毒虫がいるのではないか、不発弾がごろごろしているのではないか――そんな恐怖を抱きながら、ヘルメットに長そでのシャツと長ズボン、手にはナタを持って、私は道なき山に分け入った。時には現地に住む欧米系島民に道案内をこい、時には小さなカヌーで島々をめぐり、文字通りの手探りの採集行だ。


島民のカヌーたよりに

三、四ヶ月もすると毒ヘビ、毒虫のたぐいはほとんどいないことがわかって安心したが、思いがけない難題にぶつかった。採集した植物は新聞紙にはさんで重石をし、乾燥させて標本にするわけだが、湿度が高く、植物自体が水気を多量に含んでいるため、新聞にはさむそばから腐っていくのだ。後に東京から標本乾燥機を取り寄せ解決したが、一時は情けない思いをしたのもだ。

あのころのことを振り返ってみると、いろいろ失敗もあったが、楽しい思いも尽きない。島と島を結ぶ交通手段は島民の所有するカヌーが唯一のたよりだが、小さいためちょっとでも海が荒れると接岸できない。夕方迎えに来てもらう約束をしていたところが、急に波が立ち始めて岸によりつけず、一人ぽっちで無人の島で夜を明かしたことがあった。あわててカヌーに乗ろうとして、カメラを水にぬらし、大切な写真をだめにしてしまったこともある。

半面、のどかといおうか、磯辺の岩の間に見事な伊勢エビがぎっしり生息していて、棒で突くだけで何匹でもとれた。夜、明かりをつけて釣りをすると、灯につられてトビウオがカヌーの横腹にぶち当たって″失神″する。エサなしで難なく大漁というわけだ。

二年間小笠原にいた私はいったん東京に戻り、四十九年から五十年にかけて計四回、公務で小笠原に出張した。一回の出張が1ヶ月ほどの滞在だ。この時も仕事のかたわら植物の採集を続け、東大の山崎敬先生の助言を仰ぎながら研究の成果を少しずつ発表し始めた。調べれば調べるほど、興味が湧(わ)いてくる。植物の種類はそう多くはないものの、海洋中に孤立した小島という地理的条件のため固有種の比率が高く、世界的に珍しい植物も少なくないのだ。

こうなると小笠原の植物に対する愛着はやみがたいものになる。知り合いの出版社から図鑑出版の勧めもあって五十一年以降、私の小笠原通いが本格化することになる。正月や五月の連休などを利用するわけだが、植物によっては花の咲く期間が短いから気が気でない。週一便の定期船に乗ってやっと着いたところが、ちょうど花が散ったばかりなどという時は、背中のリュックサックの重みがひときわこたえる。

こんな苦労(好きでやっていることとはいえ)も、新種植物の発見につながると報われる。


早とちりが新種発見に

私がハハジマノボタンと名付けたノボタン科の木は、淡桃色のかれんな花をつける。従来、小笠原にはムニンノボタンの存在しか知られていなかったが、両者を比較するとムニンは花弁が四枚なのに、ハハジマの方は五枚ある。樹高も前者は一メートルに満たないのに、後者は四、五メートルに達する。どうみてもムニンノボタンとは異なるので、これの変種として世に問うたのである。

私の早トチリが新種の発見のきっかけとなったこともある。今日、ハハジマホザキランと命名されているラン科の植物のことだ。私はこれを四十四年に採集、てっきり戦前にその存在が認められていたシマクモキリソウと思い込み、あるところで発表した。ところが、東京都立大の小林純子氏から「シマクモキリソウではない」とのご指摘があり、同氏が実際に開花させてみたところ、シマホザキランとは似ていながら、異なる点の多い植物であることが判明した。この結果、シマクモキリソウでもなく、シマホザキランとも違う新種、ハハジマホザキランとして認知されたのだ。

私は自分がおかした間違いを恥ずかしいとは思っていない。むしろ小笠原の植物リストに、いまだ知られざる植物が付け加えられたことに喜びを感じている。素人の植物採集家としては、新種発見の一端を担ったということだけでうれしいのだ。


「小笠原植物図譜」を公刊

十年余にわたる採集の成果を、私は昨年、「小笠原植物図譜」として公刊した。この中には父島、母島を中心とする自生の固有種百二十四種を含め、全部で二百三十五種類の植物を収めた。決算報告書のつもりだ。

といって、私の小笠原通いはまだまだ終わらない。ひとつには小笠原自生の固有種が、外から持ち込まれた繁殖力おう盛な植物によって、次第に侵食されているからだ。トウダイグサ科のアカギなどが外来種の代表的なものだ。戦前、薪(まき)の原料とするため移入されたのだが、薪を必要とする人がいない今では伐採されることもなく、生い茂るにまかされている。これが貴重な固有種の領土をどんどん荒らしているのだ。この対策を講じなくてはならないだろう。

ただ、切り倒すには相当な費用がかかる。私は木彫工芸品の材料にするとか、内地での観葉植物の用に供するとか、合理的な解決法はないものかと願う。

もうひとつには、前にも紹介したシマクモキリソウはじめ、トヨシマアザミ、ムニンキヌランなど戦前にはその存在が確かめられた植物が、依然として見つかっていないからだ。すでに絶滅してしまったのか、あるいは私の調査の及ばない場所で、ひっそり花開いているものか。少なくとも幻の植物の存在を見きわめる日まで、私の小笠原通いは続くことだろう。(とよだ・だけし=農林水産技官、農水省林業試験場勤務)



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