今から50年ほど前になるが、第二次大戦に負けた後、学制の改革があり、新制大学となった。そこで大阪市でも新制大学、その理工学部附属植物園ができた。それが1950年のことである。私は翌年、其処に職を得た。既にいくらかの植栽が始まっていたと記憶している。
そこで「これがインドハマユウである」と教わったのが初めてだった。白の花を咲かせる株とピンクの花を咲かせる株があった。ナカナカ強勢でよく株分れする。芝生の中に大株になって咲くのは夏の花として見応えがある。いわばチョットした目玉商品といったところである。入口を入ったすぐの目につく所、芝生の中に植えたのもそういうわけだったのだろう。
私は、教わったようにそれを長い間インドハマユウと思っていた。観察していると、冬には傷むけれども枯れ込まず、翌年にまた咲く。ところが、一向に種子をつけない。
秋に綺麗な花を一斉に咲かせるヒガンバナが3倍体で種子をつけないことを知り、インドハマユウも同じように3倍体なのかもしれないと考えてみた。
このことは気がかりだったので、その後もハマユウの仲間には注意を払ってきた。近頃は色々な園芸書や園芸事典でインドハマユウを取り上げている。ところが、どの本を見ても微妙に違い、何故か奥歯にモノが挟まったような説明なのである。「これは変だ。何かがある。」と思ったのが「インドハマユウの謎」にのめり込む始まりだった。
「インドハマユウという和名の植物はどれか?」を調べてみると、その植物は幕末の小石川藥園時代から明治の初め頃、遅くとも1877年(明治 10)頃には既に「洋種文珠蘭」と呼んでいたもののようであった。小石川植物園に保存されている「明治12年小石川植物園花候」に「 洋種文珠蘭6月9日 花サク」とある。
植物分類学者が独り立ちするのには更に20年程の時間が必要だった。1900年に小石川植物園で栽培していたものを標本にして Crinum latifolium と同定された。同時にインドハマユウの名を書き込んだのが、日本でのインドハマユウの始まりである。かつて、ツュンベルグが誤って日本のハマユウ(ハマオモト)を Crinum latifolium としたこともあるのと同じ学名である。
その後約100年間、何の疑いもなくこの名前が受け継がれてきた。かつては疑いを持っても最高権威者の同定に異を唱えることは許されなかったのかもしれない。
いっぽう、園芸関係の人達は観賞価値の高いその植物を何のためらいもなくインドハマユウとした。ところが、外国の資料とつき合わせると「どうも変だ」と気づく人も出てくる。でも、色々な園芸書や園芸事典でインドハマユウを説明するのに都合の良い所だけを取捨選択して何とか繕い、辻褄合わせをし、誤った解説をしてきたのである。極端にいえば「見たことのない植物を空想で解説」したのである。迷惑なのは読者で、理解に苦しんだのは当然のことである。
ところが、最近になって同定の誤りが判明した。さいわいにも、1900年に作られた標本が保存されていたからである。再同定の結果、それは Crinum bulbispermum アフリカハマユウであった。実は、初めの同定が誤りなのであった。
こうして「インドハマユウの謎」はあっけなく解決した。無言の標本は100年後にも正しさを物語ってくれたのである。また「進歩は疑うところから始まる」こと、絶えず検証が必要なことも教えてくれたのであった。
〔植物名入門〕各著者(50音順)プロフィールとこれまでのエッセイ
芦田 潔(社団法人日本おもと協会理事)
プロフィール伝統園芸植物「オモト」の銘を考える
岩佐 吉純(岩佐園芸研究室主宰)
プロフィール園芸植物の命名考
荻巣 樹徳(ナチュラリスト):準備中
乙益 正隆(ナチュラリスト・植物方言研究家)
プロフィール植物方言採集秘話
金井 弘夫(国立科学博物館名誉館員)
プロフィール植物の名前を考える
管野 邦夫(仙台市野草園名誉園長)
プロフィール花の名前にご用心
北山 武征(財団法人公園緑地管理財団副理事長)
プロフィール緑・花試験うらばなし
許田 倉園(元:玉川大学教授)
プロフィール植物名に現れた台湾の固有名詞
佐竹 元吉(お茶の水女子大学 生活環境研究センター)
プロフィール生薬名の混乱
下園 文雄(元:小石川植物園)
プロフィール小石川植物園に渡来した植物たち
辻井 達一(北海道環境財団理事長)
プロフィールアイヌ語起源の植物名
豊田 武司(小笠原野生生物研究会)
プロフィール小笠原の植物
中村 恒雄(造園植物研究家)
プロフィール園芸樹木の変わりものたち
藤本 時男(編集者・翻訳家)
プロフィール「聖書の植物」名称翻訳考
三上 常夫(編集者・翻訳家)
プロフィール造園植物の名前の混乱
水野 瑞夫(岐阜薬科大学名誉教授):準備中
山本 紀久(ランドスケープアーキテクト)
プロフィール実と名が違う造園植物