二、熱帯林は大きな薬籠

秘伝薬

三人の伝統医とのつき合いが始まって四ヶ月が過ぎたころの十一月、その一人オイバは、ワウの町からそれほど遠くない山奥に、薬草が多く自生している地域があることを話してくれた。

それまでに、彼らは21種の薬草のサンプルを私の研究所に持ってきてくれた。そのほとんどが、彼らが薬として使う状態になっており、化学試験のサンプルとしては都合がよかった。そこで、薬草の名前、使い方、どのような病気にあるいはどんな時に使うのかなどを一つ一つ聞き取り、記録していった。しかし、そこで一つの問題があった。彼らの現地名で呼ばれている薬草がどんな植物なのか、私たちには分からないことであった。

私たち研究者にとって、植物学名を明らかにすることは、その薬草の有効性や安全性を知る上で不可欠である。しかし、この点がすぐには伝統医たちには理解してもらえなかった。つまり、彼らの薬草に関する知識は、それほど厳しいものではなかったようだが、一子相伝、門外不出が原則であったのである。そして、彼らは自分たちが使っている薬を私のところにもってくれば、つまり先進国である日本の科学の力をもってすれば、瞬く間に、その薬が有効で安全であるか否かが分かると思っていたのである。だから、伝統医たちにとっては、できれば薬の由来となる植物は内緒にしておいて、その薬の分析だけで自分たちの薬に太鼓判を押して欲しかったのである。

そこで、私は彼らに日本の漢方薬の有効性や安全性が、すべて科学的に証明しきれていないことや、また、薬草の分析には、最新の科学の粋を集めても長い時間と労力がかかることを説明した。さらに、彼らの利用している薬草の植物学名が明らかになれば、すでに科学的な研究がなされ、有効性や安全性が確認されている薬草もあることを伝えた。

最初は、研究所にあるいくつかの薬草の標本を見せて尋ねたり、近くに生えているものは一緒に見つけに行った。そして、次第に彼らも私の方針に協力してくれ、サンプルと一緒にその薬草の葉や枝、樹皮や花など、植物学名を明らかにする手がかりを持ってきてくれるようになった。

熱帯林は薬の宝庫

そんなある日、オイバは私に、薬の宝庫である山へ一緒に行こうといってくれた。その山はワウの北東にあるミッション山のさらに奥に入った地域であった。

十一月十六日。前日、オイバに研究所の4WDのトラックが使えそうだから、明朝研究所に来るように伝えた。すると当日朝七時、私が寝ぼけ眼で紅茶のお湯を沸かし朝食の支度をしていると、外で、
「モーニン」
というオイバの声がする。
「早いね」
というと、
「研究所へ行ったら、まだだれもいなかったから、お前の家に来た」
という。パプアニューギニアの始業時間は八時が普通、それにはまだ早すぎる。

オイバは、私の家の玄関前のコンクリート段の上に、むこうを向いて黙って座った。私の家は、パプアニューギニアの一般の家がそうであるように、窓にガラスはなく、金網に虫よけのネットを張っただけであった。ドアのすぐ前に座るオイバには、室内の音から家の中の様子を悟られてしまう。窓から外を覗いてみると、そこにオイバの空腹そうな小さな背中が見える。
「朝食は食べたの?」
と、その背中に声をかけたら、案の定、
「食べていない」
と、こちらを向きながら嬉しそうに答えた。私は食事を誘い、部屋に通した。

私の朝食は、いつも食パン二枚にマーガリンとジャムをつけて、それと紅茶を一杯だった。オイバにも二枚トーストにして出し、紅茶をいれてあげた。紅茶に砂糖を山盛り二杯入れるのは、パプアニューギニアに来てから見慣れていた。しかし、あっという間に二枚のトーストが、皿の上から消えていたのには驚いた。まだ物足りないような顔をしているので、残りの食パンを袋ごと出すと、パクパクムシャムシャ、全部で十枚も食べた。いもが主食の彼には食パンが珍しかったのか、前の晩食べられなかったのか?唖然。

そして、一緒に研究所に上がって行ったが、予定していた4WDのトラックがない。どうやら、コーヒープランテーションの仕事で使っているらしい。この国ではつねに予定は未定、臨機応変が基本である。車は結局、昼近くに戻ってきた。

この日は、ミッション山で、研究所が長年にわたって行なっている気象データの収集も兼ねて行った。私が運転し、研究所の助手であるアイザックと雑用係のアンドリューを連れて出発した。アイザックは背が低く、骨格、筋肉ともにがっしりしている典型的な高地に住むパプア族である。鼻は低く平たく、肌は黒く、髪は縮れ毛である。私は彼に空手を教えていたが、意外と力がなく、とくに持久力がないのには驚いた。アンドリューはやや小柄で、やはり典型的なパプア族である。気のきいたおじさんといった感じで、古くからこの研究所で働き、研究者のフィールド調査の道案内の経験が多く、たいへん頼りになる。

ミッション山は、研究所のあるカインディ山と、ワウの町を挟んで、ちょうど反対側に位置する。舗装してあるワウの町の中心部を抜けると、すぐにまた砂利の凸凹道になる。北東の町はずれにあるコーヒープランテーションを過ぎるころから、次第に山道となる。道なき悪路をエンジンをうならせ、バンパーが長く伸びた草をなぎ倒しながら、一歩一歩登るように進む。車輪の下の崖に気を付けながら、雨の浸食によってできた大きな穴をよけ、ハンドルを大きく回す。ローとセカンドのギアを繰り返し、大きなエンジン音が山に響く。手に汗握り、スリルを味わいながらオフロードドライブを続けていく。

アンドリューとオイバは、大きく揺れる荷台にしっかりつかまって乗っている。そんな揺れにも負けず、オイバは薬草を見つけると運転席のガラスを叩き、
「ストップ!」
と大声で私に知らせた。私は車を停め、カメラと手帳を持って降りる。オイバは道から少し入った所にある背丈ほどの木(Chloranthus erectus センリョウ科)を指差し、
「あれは、バギテだ」
という。私はその名前を書きとめ、オイバに使い方をたずねた。すると、
「あの木の皮をとって、そのまま噛んで食べさせるんだ。下痢や血便の時にいい」
と、返ってきた。それを記録して、写真を撮る。その間、アンドリューが軽い身のこなしで標本用の枝葉を採ってくる。

植物の標本は、研究のための貴重な財産である。枝葉や茎だけでなく花や根も標本の対象となり、さらに採取場所や日時、その植物の生態や用途などあらゆるデータを記したラベルを貼り付けて完成する。このような標本の存在が、植物の同定や薬草として成分分析する場合にも重要な証拠となる。新規の薬用成分が発見された時には、その同一植物を再度大量に採取する必要が生じる。そんな時、標本は重要な手がかりとなる。

途中アイザックが気象データを集め、さらにいくつかの薬草を採取した。そのうち、一つの峰の頂上まで着いた。車を停めてエンジンを休め、車から降りて一服した。そこは見晴らしがよく、眼下には濃い緑色をした熱帯林が遠くまで続いていた。オイバはその峰の先に見える深い森を指して、
「向こうにはブッシュ・マラシン(森の薬)がもっとたくさんある」
といった。午後からの出発で、今日はこれ以上行けない。次回あの森に行くことをオイバと約束して、その日はここで引き返した。

研究所に着いたら、集めた植物をすぐに古新聞紙に挟み、乾燥室に入れた。以前にオイバが研究所に持ってきたものもあったが、26種類の薬草が収集できた。

薬草を求めて山の中へ

十一月二十三日。真っ青の空、本当に青い。今日は、先日行けなかったミッション山のさらに奥の山へ行く。前回と同じメンバーに、オイバの甥と、研究所の敷地に住む少年ディンを、荷物持ちとして連れていく。研究所の事務員であるトムに運転を頼み、4WDのトラックで行ける所まで行ってもらった。トムは沿岸地域に住むメラネシア族で、パプア族と違い、いくぶんスラっとしていて、肌の色は、こげ茶色で、いくらか明るい。トムはたまにお金を借りに来たが、お互いの関係をよく保つために貸さないようにしていた。借りに来た時にははっきり、金を持っていないといって断わる。これがパプアニューギニア人とつきあう時の鉄則であった。

以前と同じ悪路を進み、午前十一時にミッション山の頂上手前に着いた。そこで私たちは車を降り、明日十二時に迎えに来てくれるように頼んで、トムと別れた。私たち一行は、そこから荷物を背負って細い山道を歩いていった。

オイバを先頭に、オイバの甥、私、アイザック、ディンそしてアンドリューの順に進んでいった。オイバは裸足でズンズン進んでいく。六十歳を超えているオイバは、平均寿命五十歳代のこの国では十分老人であるはずだが、薬草のお陰か本当に達者である。森に入ったら、水を得た魚のように足軽く、さらにどんどん進む。私とオイバの距離はつい開いてしまう。そこで私は、声をかける。
「イーシ・イーシ!」(ピジン語でゆっくりと)
すると、オイバはこちらを振り向き、白い歯を出してにっこり笑った。

高級ジュータンのような森の床

森の中はまるで室内のようである。真っ青な空から降ってくる熱帯の強い日射しを木々の葉が受け止め、その間を抜けてくる日の光は優しく心地よく感じられる。

刺すような強い日射しの斜面を登ってきた私たちは、ひんやりと涼しい森に入るとホッとして顔を見合わせた。ちょうど夏の炎天下を歩き回った後、冷房の効いた室内に入ったようであった。森の中は涼しいだけではなかった。厚いジュータンの上にいるようで、一歩ごとに足元一帯がふんわり沈み込む。まるで高級ホテルのロビーのようだ。そのジュータンは、50センチメートルは積もった落ち葉である。

秋という季節のない熱帯地域では、葉は少しずつつねに落ちている。大木の根が作った裂け目から森の床下を覗くと、茶色に色づいた葉は、形をほとんど変えずに積もっていた。一年を通じて気候の変化の少ない熱帯の森の中では、落ち葉が熟成され腐葉土になりにくいのだろうか。熱帯林の表土は一般に薄く、一度木々が伐採されると土壌流出が起こり、容易には森が回復しないという。熱帯の自然は脆く、パプアニューギニア人と同様、外見は強そうだが実はすごくナイーブなんだ。

そんなことを考えながら、日本の季節を思い出す。暑かったり寒かったり、過ごしづらい日も多い。しかし四季は、多少の環境変化が生じても、それに耐え得る柔軟性や適応性を森や自然に授け、本当の豊かさを与えてくれているのかもしれない。

春夏秋冬がもたらすもう一つの利点を、ワウでプランテーションを経営するドイツ人に聞いたことがある。四季のある地では、冬の寒い季節に、農作物の病害虫のほとんどが一度死滅する。ところが常夏の国では、一年中農作物は成長する一方で、病害虫も成長と繁殖を繰り返し、物凄い勢いで増え続ける。そのプランテーションの経営者は、一年中病害虫との戦いだといっていた。

飲み水は樹液―森のドリンク剤

いつものように裸足に毛糸で編んだ縞の帽子をかぶったオイバは、森の中の山道からスッと姿を消したかと思うと、巨木にスルスルと登っていった。手足を上手に使い身軽に登る姿は、決して老人には見えない。2~3メートル登ったところで、山刀で太さ10センチメートルもある木性のつる(Cissus sp. ブドウ科)を切り落とした。すると、切り口から樹液がポタポタと滴り出てきた。オイバはすばやく降りてくると、1メートルぐらいに切り取ったそのつるを私にくれた。切りたての木の香りがして樹液はやや白く濁っている。
「飲め。力がつく」
とオイバが私にいった。私は口を開け、上を向いて、その滴る樹液を口の中に入れた。やや生臭いが味はなく、山道を歩いて来た体にしみ込むようにスッと吸収された。これをオイバたちはベネックと呼び、山を歩く時の貴重な飲み水として、また疲労回復のドリンク剤として用いる。この天然ドリンク剤も、サンプルとして容器に入れ、持ち帰ることにした。

オイバの知識を記録する

薬草の採集はそのころから始まった。先を行くオイバが立ち止まって、指をさす。
「これが、キリンポランだ」
草の中から、つる(Gouania sp. クロウメモドキ科)を引き出す。葉は光沢があり、やや赤みを帯びていた。それは以前、オイバがその樹液をサンプルとして研究所に持ってきたものだった。他の二種類の薬草の樹液とブタまたはニワトリの血液を混ぜて飲ませる貧血の薬である。私は、名前を聞いてすぐに思い出した。

少し歩き、また、茂みをかき分ける。
「これは、イヘサだ」
と、オイバはいった。やはり背の低い木で、茂みの中でひっそりと木漏れ日を浴びていた。これは先に研究所の庭で紹介してくれたトゥルメンとともに用いる避妊薬である。

今度は背丈ほどの木の枝を引き寄せて、枝の先につく白い実を見せながら、
「この実を女性に与えると、男の子が生まれるようになる」
と、教えてくれた。これはウィシンウィシンと呼ばれ、どうやらシラタマカズラの近縁種(Psychotria sp. アカネ科)のようだ。 オイバはまた茂みに入って行き、白っぽい粉が所々付いた葉を持ってきた。
「これは、ジャヤだ」
といって私の鼻の下に近づけ、その葉を潰した。ツーンと鼻に刺激がきた。その葉は硬く折れて二つに割れた。よく匂いをかぐとユーカリのような香りがする。風邪に使われるユーカリ油と同じ成分が含まれているのだろうか?するとオイバは、
「咳や頭痛によく効く」
といった。私は大きくうなずいた。その後の調査で、これはスパイスとして有名なクローブ(丁字)の近縁種(Syzygium sp. フトモモ科)と判明した。

私は、オイバが薬草を見つけると彼に近づき、手帳に薬草の名前や使い方を書き込み、カメラを向けては写真を撮った。アイザックとアンドリューは、標本用の枝葉と薬用部分を採集し、名前をラベルした。

それを繰り返しているうちに、森から平原に出た。急に明るくなり眩しい。ちょうど真夏に屋外に出たときのように日射しが強く、いやに暑く感じる。

山岳の小さな村ビトイ

腰の高さまでのびた草を踏み分けながらしばらく行くと、急に下り坂になって、もう一つの尾根が望めた。尾根の向こうに、今晩私たちが泊まる村がある。坂を下ると小さな集落があり、高床式の小屋がいくつかあった。バスケットコートが一面あり、その近くに草ぶき小屋の教会があった。こんな山奥にキリスト教の教会があるのには驚かされるが、キリスト教徒が97%におよぶこの国では、決して珍しい光景ではない。

その集落を過ぎ、低い木々の続く急な斜面を登っていくと、尾根の上から、斜面にへばりつくように立っている高床の小屋が見えた。どうやら今日の宿泊地のようだ。小屋の下の斜面は赤色の山肌が見えており、かつて金の採掘場所だったようだ。その地はビトイという村で、優良な鉱脈が発見され、かなりの規模で採掘をしていた時期もあったようだ。現在は村の人々が細々と採掘しており、時にはオイバもここで金掘りをしている。

村に着いたころは日が傾いていた。村に住むオイバの親戚と挨拶を交わすと、独身の男たち用の小屋に案内してくれた。一段上がってドアを開けると、中にはだれもおらず、六畳ぐらいの広さの真ん中に囲炉裏があるだけだった。

荷物を置いて村の中を散策すると、体重500キログラムはありそうな丸々と太った巨大なブタに出会った。ブタはパプアニューギニアの人々にとって神聖な家畜で、大切な結納の品にもなる。パプアニューギニアで車を運転する人は、通行人はひいてもブタはひくなといわれるほどで、たとえ突然道に出て来て猪突猛進してきたとしても、ひいてしまったらたいへんなことになる。スピード狂の現地人ドライバーは、道路にニワトリがいてもスピードを落とさないが、さすがにブタを見たら徐行する。赤い土の上を悠々と歩くブタは、なんとも印象的だった。

山肌のあらわな斜面の向こう側には畑があり、その上に用水路が掘られていた。その用水路の上の方に、現在の採掘場所があるようだ。ちょうどそのとき、私たちの宿泊する小屋の向こうの山すそに、赤い土の斜面と同じ色をして太陽が沈んでいった。

電気水道もちろんトイレなし

小屋に戻ると、三人の青年が囲炉裏でタロイモを焼いていた。日が落ちると急に冷えてきて、小屋の中の火がありがたい。また電気のない室内は囲炉裏の火が明りとなる。

アンドリューとアイザックはすでに奥に座っていた。火を囲む男たちは、ピジン語ではない彼らの村の言葉を喋っている。会話は途切れることなく交わされているが、彼らは手を休めることなく手際良よく料理をしている。なべではタロイモを煮ている。そのうちにオイバが入ってきて、入口に近いところに座った。

皆、丸太のように大きなタロイモを四~五本は食べている。オイバも若い者に負けないぐらい食べていた。私は、彼らの食事を少し分けてもらい、持っていたパンとコンビーフを食べた。

囲炉裏のほのかな光は、皆の顔の表情を浮かび上がらせ、壁に影を作って動きを見せてくれていた。料理をし、言葉を交わし、食べるといった作業が、火の周りで流れるように進んでいた。とどこおりが一つもない。そして会話が少なくなり、男たちは静かに横になり、その場に寝た。壁に映し出される影は動かなくなり、ほのかな囲炉裏の光は皆の寝顔だけを映し出していた。

テレビもラジオもお酒も何もない。けれども楽しく会話し、たらふく食べて、寝る。どこにも無駄がなく完成され、満たされたものを感じた。

翌朝、目をさますと、囲炉裏ではすでにお湯が沸いていた。外に出て冷んやりとした新鮮な朝の空気を胸いっぱいに吸い、一服した。小屋の下の方にある斜面から湧き出る水で顔を洗い、草むらの天然トイレで用をたした。

朝は皆、お茶を飲むぐらいで、食べない。仕方なく私はお茶をもらい、持っていたスコーンをひとりでかじった。

かつて日本軍が通った道

出発前に村の人々に挨拶をすると、年寄りの一人が日本軍がこの近くを通ったことを話してくれた。沿岸の町サラモアからワウを目指していたようである。

帰り道では、オイバの薬草を確認しながら、記録や写真の不足しているものを追加していった。そんな合間に、大木にしがみつくように着生するランを見つけた。日当たりの悪い森の中で、ひっそりと咲いていた。あずき色で、まだらなその花は、決して色鮮やかではないが、細長く可憐な姿であった。

十二時少し過ぎに、昨日トムと約束した場所に戻ってきた。時間を守る人が少ない国だから、あせらずに待つことにする。疲れた足を投げ出して木陰の草の上に座ると、ワウの町が一望できた。最後の食料であるビスケットを食べながら、空腹を我慢する。結局、トムの車は五時間遅れの五時過ぎにやって来た。

採取してきた薬草の整理は翌日になってしまったが、新たに30種近い薬草の情報と植物標本を得ることができた。それら植物を同定し、生の葉の搾り汁や樹液のサンプルは化学分析を試みた。

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書籍詳細

パプアニューギニアの薬草文化
パプアニューギニアの薬草文化 熱帯林に伝わる医療の知恵
堀口和彦・松尾 光 共著
日本大学生物資源科学部資料館双書2
B6判 / 256頁 / 定価1,540円(本体1,400+税)/ ISBN4-900358-43-6
完売[1998/03/25]
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