任期終了、そして別れ
こうしたパプアニューギニアに息づく伝統医とのコンタクトも終わりが近づいてきた。青年海外協力隊の任期は基本的に二年間で、任期終了が間近となってきた。治安は悪かったが、最後まで気に入っていたこのワウを離れるのは寂しい。しかし日本にいる友人や家族が懐かしいのも事実である。仕事ではまだやり残したことも多く、その中でも伝統医オイバについて気になるところはとくに多い。
オイバの話によると、彼の伝統的治療はこれまで見てきた以外にもまだいろいろあるという。何度も彼の素晴しく効果のあった治療を見てきただけに、とても興味深いものに感じられる。それらの治療の効果も見てみたかったし、他にも彼に贈られたはずの州政府からの援助金、ワウの病院に建てるといっていた彼の診療所、また彼の今後や後継者(いまのところ、後継者がいない)などを考えると気になってしまうが、もはや時間がない。
オイバにはすでにそのことは話してあったが、彼はいつものように笑いながらも、別れを残念がっていた。彼は私がワウをたつ前日に彼の家に来るようにいった。その日に彼の家に行ってみると、お別れのプレゼントといって、彼の奥さんが作ってくれたパプアニューギニアの伝統的なバッグ(ビルムと呼ばれている)と弓矢を私にくれた。私も彼にお別れの記念に日本製のバッグと、ほとんど使用しなかった青年海外協力隊特製の制服をあげた。彼はその制服を、
「いいレインコートだ」
と笑って着てみせた。そして彼と感慨深く握手をして別れた。遠くなる私を、彼は手を振りながら見送っている。翌日、ワウの小さな空港から小さな飛行機で首都ポートモレスビーに向けて出発し、数日後、私の青年海外協力隊の任期は終了した。
それから二年後
それから二年ほどして、私は仕事でパプアニューギニアへ数度出かけることになった。その時にワウの町で偶然にもオイバに出会った。彼は依然として伝統医としての仕事に意欲を燃やし、孤軍奮闘でがんばっているようであった。すでに相当の高齢ながら、相変わらずやる気満々といった感じである。
また彼は、一緒に彼の故郷までついてきて欲しいといってきた。そこにはいままで見せられなかった薬草がたくさんあるから見せてあげたいという。その話にちょっと心を動かされたが、彼の生まれ故郷まで行くには船か飛行機を使って片道二日ほどかかる。それには私にも多くの仕事があり、簡単には身動きはできなかった。それが最後で、それ以来、彼とは会うことがなくなってしまった。
さらに数年経ち、彼はもう高齢だしまだ生きているのかな、と心配していたが、そんな時昔のパプアニューギニアの友人からの手紙が来た。それによるとオイバはいまでも元気で、相変わらず自分の診療所を作ろうとがんばっているらしいとのことが記されていた。彼が元気なことはとても嬉しかったが、彼の努力が報われるのは難しいことだと思え、気の毒に感じた。多くの人が彼の伝統医としての能力を認めながら、だれも無償で時間をさいて彼を手助けしようとは思わないのだ。実際私だってそういった点はあった。
オイバにいま最も願っていることは、長生きして、しっかりとした後継者を育てることだ。そうしないと彼まで何千年と引き継がれてきた、あの素晴しい薬草の知識も途絶えてしまう。もうその時まで時間がない。しかし残念ながら、彼の周りに後継者とならんとする者は、私の知る限りではだれもいなかった。
確かにオイバを見ていても分かるが、あまり儲かる仕事ではなかった。けっこう治療費が高いので、踏み倒されてしまうこともしばしばあった。またこの仕事は多くの時間と経験が必要で、だれもが簡単になれるものではないだろう。いまの若者の気質からしても、そういった地道な努力をしたがるものは稀だろう。私としても心を痛める点である。
いまになって思えば、彼の診療所について何でもっと積極的に手助けしなかったんだろう、と悔やんでしまう。確かに難しい話ではあるが、全く可能性がない訳ではない。実際、数は少ないがこうしたタイプの伝統医を正式に認めている国もある。アフリカでは彼らはアフリカンドクターと呼ばれ、国の公認のもと、医療活動を展開しているケースもある。なによりこうした取り組み(伝統医の診療所)に対し、はじめから否定的に捉え、彼の夢の実現のためにあまり動かなかった自分が残念でならない。こうして彼のことを書きながら、消極的だった当時の自分を深く反省してしまう。
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